車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、日本人によく分かる伊勢神宮とその参拝についての解説です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
庶民の伊勢神宮参拝のルーツは、江戸時代の「おかげ参り」にある。
伊勢神宮の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.01.24
2013.02.03
2014.09.27
2023.10.12
※「伊勢神宮」での現地調査は2023年10月が最新です。
日本人によく分かる「お伊勢参り」
「おかげ参り」とは…
奈良に「ヤマト王権」が根付いた時代から、皇室の氏神「天照大神」を祀ってきた「伊勢神宮」は、創建以来永らく、皇族のためだけの神社として、一般人の参拝を受け入れてこなかった歴史を持つ。
その格式ゆえに、儀式・祭り・慣習といった類が多く存在し、それらが相まって、今でも「伊勢神宮」は”どこか近くて遠い”、掴みどころのない雰囲気を醸している。
ゆえに筆者は、日本人にとって「伊勢神宮」は「日の丸」で、「天照大神」は「君が代」のような存在と紹介している。
確かにお伊勢参りのガイドの中には、信憑性のない縁起担ぎも含めて、「伊勢神宮」を事細かに解説しているものもあるが、筆者はそれを真には受けない。
理由は以下の記事に記している。
そんなことより「伊勢神宮」の参拝には、「物見遊山」気分が欠かせない。
その意味からすると、参拝者に必要な知識は、「手水の作法」と「二礼二拍手一礼」くらいのもの。
それには、伊勢神宮公式サイトのこのページを見て行くだけで十分だ(笑)。
「おかげ参り」は、江戸時代に起こった”集団参拝”ムーブメント
現代人の「伊勢神宮」参拝は、江戸時代に一大ブームとなった「おかげ参り」が原点にあると云っていい。
当初は”皇室御用達”だった「伊勢神宮」は、朝廷の力に陰りが見えた鎌倉時代になると、上級武将などが参拝するための間口が広げられてゆき、江戸時代にはついに庶民に開放される。
「おかげ参り」と呼ばれる”集団参拝”ムーブメントが起きるのは、天下泰平となったその江戸時代中期のことで、最大の特徴は、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにあった。
それゆえ”抜け参り”とも呼ばれ、1705年(宝永2年)に362万人、1771年(明和8年)には200万人、そして最大規模となる1830年(文政13年)には、実に427万人という空前の数にまで膨れ上がっている。
「おかげ参り」の語源には、『「天照大御神」の”おかげ”』に引っ掛けた話のほかにも、大金を持たなくても信心の旅ということで、沿道の施しを受けることができた”おかげ”など、諸説諸々あるようだ。
だがそれ以上に大きかったのは、街道を含む交通網の整備、道中での遊興施設や宿屋の充実、治安の安定、貨幣経済の浸透といった”参宮のための環境”が大きく改善されたことだった。
それによって「お伊勢参り」には、”観光”が目的に含まれるようになっていった。
お気づきの通り、
交通手段こそ変われど、それは約300年を経た現代にも通じる話で、参拝はするものの、取り立てて”願い事”があるわけでもなく、まさに目的は”物見遊山”。
♪えっじゃないか、えっじゃないか、えっじゃないか♪
筆者はこの軽いノリこそが、伊勢神宮参拝の真骨頂だと思っている(笑)。
「おはらい町」と「おかげ横丁」
「おかげ参り」がもたらした、”現代人のへの置き土産”とも云える「おはらい町」は、今も伊勢神宮参拝に欠かすことのできない”ランドマーク・スポット”だ。
極端な話、ここを見ずして”伊勢神宮に行った”とは云わない(笑)。
皇大神宮こと、伊勢神宮の「内宮」に通じる鳥居前町一帯は、江戸時代から「おはらい町」と呼ばれており、そのメインストリートにあたる「おはらい町通り」の一画に「おかげ横丁」がある。
詳細は以下の記事にしっかりまとめてあるので、後ほどあわせてご覧いただきたい。
「外宮先祭」の真意
ところで、「伊勢神宮」には「外宮先祭」と云われる、参拝は「外宮」から始める”習わし”があるのをご存知だろうか?
もっとも、本来それは「祭り」の話。
そもそも「外宮」に祀られている「豊受大神(とようけおおかみ)」は、「天照大神」が「内宮」に鎮座した約500年後に、丹後からこの地に呼ばれた神様で、「古事記」では「天照大御神」の姪にあたる。
であれば、「天照大神」から先に参拝するのが常識と思うのが普通だ。
なのになぜ、「外宮」が先?
細かく調べると、こじつけがましい理由が見つからないわけではないが、筆者の思う答えは単純で、「内宮」を先にすると、誰も「外宮」には行かなくなるからだと思っている(笑)。
おもしろいデータを紹介しよう。
「外宮」の駐車場の収容台数は360台だが、「内宮」にはその約5倍の1758台を収容できる駐車場が用意されている。
ってことは、クルマで伊勢神宮に来る人の5人に4人は「外宮」に行かない計算が、ずっと前から成り立っているわけだ(笑)。
正直なところ「外宮」は、その成り立ちからして不自然だし、ご利益に至ってはもはや万能(笑)。
怪しいと思わないほうがおかしいのだが、このあたりは巧妙というか、保守的な日本人が弱い”習わし”を盾にする、寺社仏閣の”常道手段”なのだろう。
ゆえに筆者はそれを気にせず、①おはらい町②内宮③外宮の順に参拝している。
最大の理由は、朝から参拝する場合、「外宮」から始めると「内宮」に着く頃には、駐車場が埋まってしまうリスクがあるからにほかならない。
なお後述しているように、そんな小賢しいことをせずとも、「外宮」には参拝する価値が十分にある。
また「豊受大神」のルーツを知れば、その認識だけでなく、筆者の記事に対する評価も”大どんでん返し”になるはずだ(笑)。
ということで、もし興味があれば、以下の記事をのちほどご覧いただきたい。
「伊勢神宮」内宮の見どころ
さて。
人によっては、よくやくここからが本番になるわけだが、このように内宮の鳥居から朝日が昇るのが見られるのは、冬至の前後1か月間だけ。
同じ行くなら、その頃のほうがパワースポット気分は増すと思う(笑)。
伊勢神宮最大の見どころといえば、正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の四重の垣根がめぐらされた、「唯一神明造」と呼ばれる「正宮」だろう。
そう思っている人が大半だと思うが、来てみると残念なことに、ここではその全容を撮影することはもちろん、見ることさえも障害物が多くてままならない。
ただ、別の場所に建つ「唯一神明造」では、いずれも可能だ。
それが別宮(わけみや)の、「⾵⽇祈宮(かざひのみのみや)」。
「唯一神明造」は、切妻、平入の高床式の穀倉形式から宮殿形式に発展したものと考えられており、以下の特徴を有している。
●檜の素木造りであること
●丸柱の掘立式で礎石を使用しないこと
●切妻・平入の高床式で棟木の両端を支える棟持柱があること
●萱葺の屋根の上には鰹木(かつおぎ)が置かれていること
●千木(ちぎ)は屋根の搏風(はふ)が伸びた形状であること
日本でもっとも古いとされる「唯一神明造」の遺構は、4世紀のものとされる奈良の「巻向遺跡」で見つかっているが、それが1300年を経た現在においても”再現”できるのは、伊勢神宮で「式年遷宮」が行われてきたからに他ならない。
式年遷宮
「式年遷宮」は、神社等が周期を定めて社殿を更新し、新たな社殿にご神体を移すことを総じて云うが、「伊勢神宮」では「内宮」「外宮」ともに、明日香時代の後期から20年ごとに行われてきた。
たまたま「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 2時間SP 伊勢神宮&出雲大社SP!!」でその映像が流れたので、画像で様子を掲載しておこう。
「伊勢神宮」の場合は、社殿だけでなく、祭祀に関わる衣装から器に至るすべての物を新調するが、その背景には技術の継承という目的もあるのだろう。
なお「式年遷宮」については、後述する「外宮」でもう少し詳しく紹介するが、「内宮」には、他にも宮大工の技が光る場所がある。
それは五十鈴川に架けられた、「内宮」の玄関とも呼べる全長101.8メートルの「宇治橋」だ。
「宇治橋」に使われている約600枚の敷板には、木造船の船底を造る「すりあわせ」という技法が用いられており、雨水が橋脚に漏れないようになっている。
古代から受け継がれる職人の技が、今も参拝者の安全を守っているのは素晴らしい。
あと「内宮」で気になるのは、この「荒祭宮(あらまつりのみや)」だと思う。
筆者もいろいろ他のサイトの説明を見たが、多くはトンチンカンなものばかりで、ライター自身が理解できていないのがモロわかりだった(笑)。
「荒祭宮」に祀られている「荒御魂(あらみたま)」は、「和御魂(にきみたま)」とともに、神の霊魂には持つ2つの側面があるという”神道の概念”に基づく産物だ。
「荒御魂」は神の荒ぶる魂で、天変地異を引き起こし、病を流行させ、人の心を荒廃させて、争いへと駆り立てる神の働きで、いわゆる”神様の祟り”は「荒御魂」の現れと考えられていた。
いっぽうの「和御魂」は、雨や日光の恵みを与える神の優しく平和的な側面で、”神様の加護”は和魂の現れになるという。
「へぇ~、神道とはそういうもんなんだ」で済ませておけばいい話だが(笑)、
「天照大神」を祀る正宮とは別に、同じ神様の”荒ぶる魂”を祀る別宮があるというのは、現代人の感覚からは理解し難い。
それに同じお参りするなら、筆者は「和御魂」のほうにしたいと思う(笑)。
ちなみに「伊勢神宮」に、賽銭箱はない。
古来より「伊勢神宮」では、「私幣(しへい)禁断」といって、天皇以外の人々が個人的なお供えものをすることを禁じており、お賽銭はその私幣にあたる。
ただそのことを知らずに賽銭をする人が後を絶たないので、お金から神殿を守るために布が敷かれているとのこと。
ゆえに実際はそれを知らず、ほとんどの人がお賽銭をしている(笑)。
正直なところ、「内宮」はその広さの割に、「見て分かるところが少ないな~」と感じて帰る人が多いと思う。
その意味からすると、「外宮」はコンパクトだが分かりやすい。
「伊勢神宮」外宮の見どころ
通称「外宮」で親しまれている「豊受大神宮」の魅力は、「式年遷宮」に関連するものがよく見える点にあり、その最たるものがこちらの「古殿地」だろう。
「古殿地」は前回の遷宮まで「正宮」が建っていた場所で、正宮と同じ広さがあり、中央には正殿中央の「心御柱」を納めお守りするための覆屋がある。
また左手には、「内宮」では確認できなかった「正宮」の「唯一神明造」も垣間見ることができる。
そしてこちらが現在参拝できる「外宮」の「正宮」。
祀られているのは「豊受大神(とようけおおかみ)」で、プロフィールは伊勢神宮の公式サイトの言葉を借りると以下の通り。
今から約1500年前、天照大神のお食事を司る御饌都神として丹波国から現在の地にお迎えされました。
内宮の御鎮座から約500年後のことです。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿では朝と夕の二度、天照大神を始め相殿神及び別宮の神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています。
少し補足すると、ここで云う「丹波国」とは律令制時代の表現で、実際に「豊受大神」が祀られていたのは、丹後半島の天橋立に近い宮津。ゆえに「丹後」という方が現代人には分かりやすい。
先ほどと同じく「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 2時間SP 伊勢神宮&出雲大社SP!!」でその映像が流れたので、その画像を掲載しておこう。
しかしそう云われると、見てみたくなるのが「御饌殿(みけでん)」だが、場内には案内板さえ用意されておらず、マップを見ながら自力で見つけるしかない。
いっぽうこちらは、三石(みついし)の名前で親しまれている「河原祓所」。
「式年遷宮」が行われる時には、ここでお祓いが行われる。
最後は、筆者が「外宮」でいちばんお勧めしたい「せんぐう館」をご紹介。
「せんぐう館」は、勾玉(まがたま)池のほとりにあり、2013年の第62回式年遷宮を記念して建設された、「伊勢神宮」の「式年遷宮」を紹介する博物館。
20年に一度繰り返してきた「式年遷宮」の工事に使われた道具、神事や装束、神宝などの一部を展示しており、近くでは見ることができない正殿の一部を、原寸大に再現した模型は圧巻だ。
大人300円
9時~16時30分(受付最終16時)
第2・第4火曜定休
「伊勢神宮」の駐車場と車中泊事情
まず初詣客が多い伊勢神宮だけに、周辺の車中泊環境は悪くない。
有料とはいえ内宮周辺の市営駐車場には、ウォシュレット付きのトイレを完備した、24時間営業のところも用意されている。
市営駐車場の詳しい情報は、以下の記事にまとめているので、行かれる方は参考にしていただきたい。
ただ行事のない日の伊勢神宮は、上記の有料駐車場で車中泊をしなくても、朝の早い時間帯ならスムーズに入庫できる。
遠方からの参拝や、参拝後に続けて鳥羽や志摩方面を観光する人に向けた車中泊スポットの情報は、こちらの記事で確認を。
伊勢神宮 車中泊参拝ガイド
※記事はすべて外部リンクではなく、オリジナルの書き下ろしです。