車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、2023年10月現在の伊勢神宮の「おはらい町通り」にある「赤福本店」の食レポと、その知られざる秘話をご紹介。
シニア世代で大阪在住の「クルマ旅のプロ」がお届けする、車中泊グルメガイド
アウトドアを愛する「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、25年以上かけて味わってきた、全国各地のソウルフードの、素材・レシピ・老舗・行列店等を紹介しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
赤福に行くなら、やはり本店がいい!
赤福本店 DATA
赤福本店
〒516-0025
三重県伊勢市宇治中之切町26番地
0120-081-381
0596-22-7000(総合案内)
5時~17時(繁忙期時間変更有)
無休
赤福本店の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.01.24
2013.02.03
2014.09.27
2023.10.14
2023.12.10
※「赤福本店」での現地調査は2023年12月が最新です。
赤福本店
「赤福本店」のロケーションと概要
「赤福本店」は、伊勢神宮の内宮に通じる「おはらい町通り」の、五十鈴川に架かる新橋のたもとにある和菓子店で、明治10年に建てられた伊勢らしい切妻・妻入りの建物には、老舗の風格が漂っている。
看板商品は、大半の方がご存知であろうと思う、こちらの「赤福(餅)」。
今も中京・近畿圏のJR線主要駅や、近鉄沿線の特急停車駅、さらにサービスエリア・百貨店・空港売店などでも発売されているので、買った人も貰った人も多いと思う。
加えて、関西在住の筆者と同年代の方なら、赤太郎という侍をイメージしたマンガのキャラクターが登場し
♪伊勢~の名物 赤福餅はええじゃないか!♪
のフレーズが流れる、このCMを覚えている人も多いだろう(笑)。
「赤福本店」では、「餅入れさん」と呼ばれる「赤福餅」をつくる職人の様子が見られるとともに、その”作りたて”が味わえる。
さらに、店内にある竃(かまど)の神様「三宝荒神(さんぽうこうじん)」を祀る朱塗りのかまどでお湯を沸かし、その湯で淹れた番茶も一緒にいただける。
店内でいただく際の料金は、1人前2個入りで300円。
ただここでは、一番奥の五十鈴川が見える縁側に腰掛け、昔から変わらぬ風情を感じながら、”いっぷく”するのがお勧めだ。
もちろん、そのためには朝早く行くのがいいわけで、なんと「赤福本店」は朝の5時から開いている(笑)。
なお、日中に赤福本店が長蛇の列で入れない場合は、「おはらい町通り」のいちばん内宮寄りのところにも、赤福の店がある。
ただ何時から営業しているかまでは分からなかった。
「赤福餅」のうんちく
お餅の上にこし餡(あん)をのせた「赤福餅」が誕生したのは、今からおよそ300年前の1707年(宝永4年)のこと。
伊勢神宮を流れる五十鈴川のせせらぎをかたどり、餡につけた三筋の形は清流を、白いお餅は川底の小石を表しているという。
さらにその名前の由来は、「赤心慶福(せきしんけいふく)」の故事にあり、「赤子のような、いつわりのない真心を持って、自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味があるとされている。
にもかかわわらず…
創業300年を迎えた2007年に、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造年月日にして出荷していたことと、売れ残った商品の餡を再利用をしていたことが明るみに出て、一時期営業停止の処分を受けて、経営問題に発展したのは記憶に新しい。
現在はそれに懲りて、”まっとうな赤福餅”を提供してくれていると信じよう(笑)。
ちなみに消費期限は
5月中旬~10月中旬は製造日共2日間
10月中旬~5月中旬は製造日共3日間
となっており、箱の表面もしくは側面に表示されている。
さて。
こちらはあまり目にすることがない、赤福の「白餅黒餅」と呼ばれる限定品で、従来の黒砂糖のコクのある甘さと、白小豆のさっぱりした甘さが特徴だ。
コロナ禍で外出の機会が少なかった2021年に発売され、当初はオンライン限定で販売されていたが、今は全ての直営店で購入することができる。
「赤福」の季節メニュー
「赤福」では、毎年ゴールデンウィークの少し前から、特製の蜜に抹茶の粉末を合わせた夏季限定の「赤福氷」(700円・税込)の提供が始まる。
食べ進めると中から、氷の中でも固くならず、味がぼやけないよう、赤福氷専用に作らたという白餅とこし餡が現れる。
ちなみに「赤福氷」のルーツは1961年(昭和36年)。
海水浴客に向けて二見支店からスタートしたのが始まりだという。
いっぽう冬の人気メニューは、煮崩れしにくくホクホクした食感の大納言小豆を使用し、注文を受けてから焼く、アツアツの角餅が2つ入った「赤福ぜんざい」(700円・税込)だ。
やさしく上品な甘さが、冷えたカラダを温めるにはちょうどいい。
「おかげ横丁」の生みの親は「赤福」
さて。
「おかげ参り」が大流行した江戸時代の「伊勢神宮」は、年間200~400万人もの参宮客が押し寄せたともいわれる、庶民の憧れの地だった。
「赤福本店」がある鳥居前町一帯は、日本全国から客人を集めた「御師」が館を連ね、お祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになったという。
しかし明治以降は「御師」制度が廃止され、高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には、バスや自動車で宇治橋前まで乗り付け、参拝を終えると「おはらい町」へは立ち寄らずに、次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く者が増加する。
そのため「おはらい町」は活気を失い、昭和50年~60年代の来訪者数は、現在の30分の1程度にあたる、年間約20万人まで落ち込んでしまった。
この状況を危惧した「赤福」が、「おはらい町」に伊勢路の伝統的な街並みを再現しようと先頭に立ち、開業にこぎつけたのが今の「おかげ横丁」だ。
この地に本店を構え、5年で給与を倍増するという目標を4年で達成し、勢いづいていた老舗和菓子店の「赤福」は、「おはらい町」の一画にあった赤福本社ビルを取り壊し、その周辺の土地も買い取って、約4000坪の土地を確保。
当時の「赤福」社長・濱田益嗣の、「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ、日本的なこころのふるさとが求められている。」という考えに基づく、伊勢の伝統的な町並みの再生が始まった。
濱田は有志を募り、1979年(昭和54年)に「内宮門前町再開発委員会」を結成。
こうした動きを受けて伊勢市は1989年(平成元年)に、「伊勢市まちなみ保全条例」を制定し、「伊勢市まちなみ保全事業基金」も創設され、「おはらい町」再生に向けた活動が、いよいよ軌道に乗り始める。
そして1993年(平成5年)7月。
第61回神宮式年遷宮の年に、ついに「おかげ横丁」が開業する。
「おかげ横丁」には、江戸から明治にかけての伊勢路の伝統的な建築物が移築・再現され、老舗の味・名産・歴史・風習・人情など、この地方の魅力が凝縮されている。
話が前後するかもしれないが、「おはらい町」と「おかげ横丁」のさらに詳しい情報は、以下の記事にまとめているので、お時間がある人には、ぜひ合わせてご覧いただきたい。
「赤福本店」のアクセスマップ
現在の「おはらい町通り」は、土・日・祝日は歩行者天国になっているが、平日でも赤福本店前までクルマで行くと、人通りが多くて大変な思いをする。
クルマは以下に詳細を記した内宮周りの市営駐車場に駐め、徒歩でアクセスしよう。
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伊勢神宮 車中泊参拝ガイド
※記事はすべて外部リンクではなく、オリジナルの書き下ろしです。