伊勢神宮最大の謎は外宮の存在。「豊受大神」の実像とは? 【クルマ旅のプロが解説】

外宮 史跡

車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、伊勢神宮の「外宮」に祀られている「豊受大神」に関する記述です。

「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

巌流島

この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。

※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

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~ここから本編が始まります。~

「豊受大神」を深掘りすると、古代の日本とヤマト王権の歩みが見えてくる。

眞名井神社

伊勢神宮最大の謎は、「外宮」の存在

「豊受大神」のルーツは、丹後半島の宮津に残る「眞名井神社」

「天照大神」と「豊受大神」の関係=「ヤマト王権」と「丹後王国」の関係

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伊勢神宮最大の謎は、「外宮」の存在

外宮

「伊勢神宮」には「天照大神」を祀る「内宮」とは別に、「豊受大神」という神様を祀る「外宮」があるのは大半の方がご存知だと思うが、この「外宮」の存在に違和感を覚えるのは、筆者だけではあるまい。

そもそも最初は、「伊勢神宮」には「天照大神」を祀る「内宮」しかなかった。

伊勢神宮

「外宮」は「内宮」創建から約500年を経た「雄略天皇」の時代に、突如「天照大神」から発せられた、『自分ひとりでは食事が安らかにできないので、「但波の比沼真名井に坐せる豊受大神を吾がもとに呼び寄せよ」』とのお告げに従い、建立されたと伝えられている。

だが、実は「豊受大神」の「外宮」鎮座の由来については、「古事記」と「日本書紀」の両書に記載はなく、その話は804年(延暦23年)に編纂された神宮の社伝「止由気宮儀式帳(とゆけのみやぎしきちょう)」が元になっている。

しかし”食事係”にこれほど立派な社を与えるのは不自然だし、何より歴史を紐解けば、

「天照大神」には伊勢に来る前に、丹後で「豊受大神」と同居していた時期がある。

旧知の仲だけに、もしお告げの理由なら、500年も待つことなく、自らの膝元に呼び寄せることができたはずだ。

なお「古事記」には「豊受大神」が「天照大神」の姪にあたる記述があるが、それは「古事記」を編纂した際に「大和朝廷」がでっちあげた”後付け”で、真実ではない。

「豊受大神」には、明らかに天孫族(天皇家)とは異なるルーツがある。

「豊受大神」のルーツは、丹後半島の宮津に残る「眞名井神社」

真名井神社

「豊受大神」は「外宮」に遷座されるまで、当時は「丹波国」と呼ばれていた、現在の丹後半島の宮津にある「元伊勢瀧神社」の奥宮とされる、「真名井神社」に祀られていた。

真名井神社

ここで注目すべきは、社の奥にある縄文時代から受け継がれてきた「磐座(いわくら)」と呼ばれる祭祀場だ。

まだ神を祀る社を持たなかった古代の人々は、大木や巨岩などの神秘的な自然物に神が降臨して宿ると考え、その「磐座」に祈りを捧げてきた。

実は「眞名井神社」の「磐座」は2つあり、「主座」にあたる「東座」に「豊受大神」、左側の「西座」には「天照大神」と「伊射奈岐(いざなぎ)大神」、「伊射奈美(いざなみ)大神」が祀られている。

もちろん「天照大神」が最初からここに祀られていたとしたら、「古事記」の神話は根底から覆ってしまうことになる(笑)。

「主座」に位置することからしても、「真名井神社」の「磐座」本来の祭神が「豊受大神」であるのは明白で、祭祀は「天照大神」が登場するはるか以前から行われていた可能性が高い。

では、どのような民が「豊受大神」に祈りを捧げていたのだろう?

「天照大神」と「豊受大神」の関係=「ヤマト王権」と「丹後王国」の関係

丹後王国

丹後半島には、縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけての遺跡が数多く残されており、考古学的見地から、「ヤマト王権」とは別の大国が存在したと云われている。

ここでは便宜上、その大国を「丹後王国」と呼ぶことにしよう。

丹後古代の里資料館

「丹後王国」は、現在の丹後・但馬・丹波を合わせた広い地域を支配していたが、海に近い現在の丹後地方には、大陸とつながりがあったと思われる伝説や、巨大古墳が多く残り、先進的で強大な国だったことが伺える。

また「(元伊勢)籠神社」の宮司を代々世襲してきた海部(あまべ)氏には、祖先である「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」が、「籠神社」の海の奥宮である「冠島」に上陸し、この地に「眞名井神社(匏宮・よさのみや)」を建て、「豊受大神」を祀ったとの伝承と、それを裏付けるような家系図が残されている。

そのため考古学と歴史学から見た、海部氏率いる「丹後王国」が、「ヤマト王権」よりも先に畿内で勢力を誇っていたという説が、今は有力視されている。

丹後古代の里資料館

のちに丹後を支配下に置くことになる「ヤマト王権」が、当初は強大な力を誇る「丹後王国」と、政略結婚を通じて信頼関係を築いていったのはその証といえるだろう。

両者の結びつきは、「ヤマト王権」が「竹野媛」を第9代「開化天皇」の皇后に迎えたことから強まるが、信仰における顕著な事例は、孫に当たる「日葉酢媛(ひばすひめ)」が第11代「垂仁天皇」の后となり、娘の「倭姫命(やまとひめのみこと)」が、父から託された「天照大神」を母方となる丹後の地に一時遷座させたことだ。

これは神話に登場する話だが、筆者は事実で、奈良で居場所を失った「天照大神」が丹後に向かった真相だと思っている。

しかし当時の丹後には「豊受大神」が祭神として君臨しており、いくら「天照大神」が天皇家の先祖であっても、民の心の中の序列は変わることがなかったのだろう。

それゆえ、「天照大神」はわずか4年でこの地を後にしている。

丹後古代の里資料館

さて。

無事に生き残った「豊受大神」だったが、実はこちらにも、これ以上丹後に置いておくわけにはいかない事情が発生する。

それはずばり、「丹後王国」の消滅だ。

消滅と云っても、「大和朝廷」に滅ぼされたというよりは、吸収されたと見るほうが妥当で、丹後から「海部氏」の影響力を拭い去る一環として、その精神的支柱である「豊受大神」を、伊勢に遷座したと見るのが本筋だと思う。

丹後古代の里資料館

そのことは、「道の駅てんきてんき丹後」のすぐ近くにある「京丹後市立丹後古代の里資料館」に、本当によく分かる解説がなされている。

つまり「外宮」のルーツを辿るには、宮津市にある「元伊勢瀧神社」の奥宮とされる「真名井神社」と、この「京丹後市立丹後古代の里資料館」に足を運べばいい。

最後に。

「古事記」には「彦火明命」は「瓊々杵尊」の兄神として登場し、弟が高千穂峰に降臨するより早く、近畿地方(大和説と丹波説がある)に降臨したと記されており、「彦火明命」は「天照大神」の孫という位置づけになっている。

元伊勢籠神社

こちらは「彦火明命」を主祭神とする「籠神社(このじんじゃ)」で、一般的には「元伊勢籠神社」の名で親しまれている。

元伊勢籠神社

「籠神社(このじんじゃ)」に建てられた謂れの説明書きは、とてもわかりやすい。

「丹後王国」吸収後の「大和朝廷」の対応を見ると、親族となって発展を手助けしてくれた「丹後」の人々に対する扱いは丁寧で、征服者の振る舞いとはかなり違って見える。

ここからは筆者の想像になるが、

国家統一のために、信仰の対象を「天照大神」を筆頭とする天孫系の神様に統一したい「大和朝廷」は、そのまま「豊受大神」を置いておくわけにはいかず、冒頭に記した神話を創り、丹後から退かせるかたちで伊勢へと鎮座した。

そして丹後での役割は終えたが、伊勢で「天照大神」の食事を司る御饌都神(みけつかみ)としての新たな価値と役割を持つ神様として、「豊受大神」を”再生”させる。

また同時に功労者である海部氏には、その祖先「彦火明命」を主祭神とする「籠神社」の宮司の職を与え、いたずらに丹後が乱れるのを予防している。

それにしても、これを実現した人物はたいした手腕だ。1300年経っても、その功績は色褪せるどころか、燦然と光を放ち続けているのだから。

ちなみに「伊勢神宮」は、このあと持統天皇により、ワンランクもツーランクも高い、まさに”永久の権威”を得ることになっていく。

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