大坂在住で歴史に精通する、車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、空海ゆかりの京都の名刹「東寺」の歴史と見どころ及び駐車場に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
空海ゆかりの「東寺」は、洛南に残る平安京創生期に建立された大寺院
「東寺」 DATA
「東寺」
〒601-8473
京都府京都市南区九条町1
☎075-691-3325
拝観時間
8時~17時
(受付最終16時30分)
拝観料(金堂・講堂)
大人500円
※境内の参拝は無料
駐車場
普通車600円
「東寺」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2018.03.11
2020.01.18
2023.06.04
※「東寺」での現地調査は2023年6月が最新になります。
世界遺産「東寺」

「東寺」ができたのは、平安京の創世記
「東寺」の創建は、平安京の創生期にあたる796年に遡る。
都の南玄関にあたる羅城門の東に、王城鎮護・国家鎮護を目的に朝廷が創建した大寺院で、当時は「西寺」とともに右京・左京を守っていた。
長岡京からの遷都が成立したのは794年。
つまり「東寺」は、ほぼ最初から平安京での出来事をつぶさに見続けてきた、まさに古都・京都を代表する古刹といえる。
古さだけでも世界文化遺産に登録される価値は十分あるように思うのだが、「東寺」にはこの後、もっとすごい歴史が宿る。
その後「空海」に勅賜され、真言宗の根本道場となる
「東寺」は、またの名を「教王護国寺」と呼ぶ真言宗の根本道場で、昔の真言宗の総本山だ。
厳密に云うと、現在の真言宗は複数の派に分かれており、東寺は「東寺真言宗の総本山」になるが、ここではそういう、ややこしい話はパスしよう(笑)。
遣唐使として「最澄」らとともに海を渡った「空海」は、約2年の間に”三蔵”と密教を学んで、806年(大同元年)に帰国した。
ちなみに“三蔵”とは、「経・律・論(釈迦の教えやその注釈、僧団における戒律など)」を指している。
ただそれらに精通した高僧を指す場合もあり、固有名詞ではないらしい。
我々世代の記憶にあるのは、テレビドラマの「西遊記」で、「夏目雅子」が凛々しく演じた”三蔵法師”だと思うが、この”三蔵法師”には「玄奘(げんじょう」という正式な名前があり、玄奘三蔵と呼ばれたりしていたようだ。
「空海」は816年(弘仁7年)に高野山(金剛峯寺)に道場を開くが、密教だけではなく、詩文や書などに幅広い知識を持つこの男を、時の「嵯峨天皇」は高く評価し重用する。
そして823年に「東寺」を勅賜 (ちょくし)された「空海」は、名を「教王護国寺」に改め、そこを真言宗の根本道場として活動を始めた。
中世以降の歩み
中世以後の「東寺」は、「後宇多天皇」「後醍醐天皇」「足利尊氏」など、多くの為政者の援助を受けて繁栄する。
1486年の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、豊臣家・徳川家の援助により、金堂・五重塔などが再建された。
ただ残念ながら現在の「東寺」には、創建当時の建物は残っていない。
しかし南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が、南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままだという。
そんな「東寺」が、国の史跡に指定されたのは1934年(昭和9年)。
そして1994年(平成6年)12月に、「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録された。
五重塔は、「東寺」のランドマーク
さて。
「東寺」といえば、この五重塔が有名。
「徳川家光」の寄進で再建されたこの塔は、高さ約55メートル、木造の塔としては日本一を誇る、まさに「東寺」のランドマークだ。
ただ皮肉なことに…
鳥羽・伏見の戦いの際に、「東寺」は薩摩藩の本陣となり、新政府軍を率いる「西郷隆盛」は、”徳川の金で再建されたこの塔”の、最上階から戦局を眺めて勝利する。
単純な筆者は大河ドラマ「西郷どん」でそのことを知り、「西郷隆盛」が眺めた京都の景観をぜひとも見たいと思い、特別公開期間中に「東寺」に足を運んだ。
だが塔に登れるどころか、中にも入れず、外から塔の中を覗けるだけだった(笑)。
ええっ~、
それってほとんど”詐欺”ちゃうんか!?
「空海」の息吹が感じられる御影堂
また「東寺」には、「空海」の住房だった大師堂「御影(みえい)堂)がある。
「司馬遼太郎」は「古寺巡礼京都」の中で、こんなことを書いている。
私は毎年、暮から正月にかけて京都のホテルですごす習慣をもっている。
訪ねてくるひとに京都のどこかの寺をそのときの思いつきのままに案内するのだが、たいてい電話での約束のときに、『「東寺」の御影堂の前で待ちましょう。』ということにしている。
京の寺々を歩くには、やはり平安京の最古の遺構であるこの境内を出発点とするのがふさわしく、また京都御所などよりもはるかに古い形式の住宅建築である御影堂を見、その前にたち、しかるのちに他の場所に移ってゆくのが、なんとなく京都への礼儀のような気がして、そういうぐあいに自分をなじませてしまっている。空海に対する私の中の何事かもこういう御影堂へのなじみと無縁でないかもしれない。
いかにも「司馬遼太郎」らしい「こだわり」に感心しつつ、筆者はその「御影堂」の拝観を楽しみにしていたのだが、一度目は運悪く屋根の葺き替え工事期間にぶつかり、中どころか外観さえも見ることができなかった。
そして…
その無念を晴らすべく、わざわざ足を運んだ2度目も、工事期間が気づかぬうちに延長されており、またしても見られないという憂き目に遭っている(笑)。
これは「東寺」に限ったことではないが、往々にして京都の寺は、公式サイトにそういうことを分かりやすく明記しない。
「他にも見どころがあるから」と云われれば確かにそうだが、明確に現在は見られないと書かないのは、前述した五重塔の「特別公開」の件も含めて、さすがに姑息に思えた。
耐震工事が続く京都・奈良は、今も国宝や重要文化財の工事を行っている寺社仏閣がたくさんあるので、行く前には必ず「旅行者の口コミサイト」などをチェックし、さらに不安なら電話で確認してから行くのが”鉄則”だ。
その”鉄則”を守った2023年6月、”3度目の正直”で、筆者はついにベールを脱いだ「御影堂」と対面した。
真新しいため、さすがに違和感はあったものの、「空海」が「大師堂」とも呼ばれるこの建物に住みながら、講堂の立体曼荼羅を構想し、造営工事の指揮をとっていたかと思うと感慨深い。
”伝承”をあわせると、日本中に数多の「空海」ゆかりの地はあるが、その中でも「東寺」の「御影堂」は、高野山「奥の院」・室戸岬「御厨人窟(みくろど)」とともに、「空海」の在りし日の姿が目に浮かぶところだった。
その「御影堂」は、後堂(うしろどう)・前堂(まえどう)・中門(ちゅうもん)の3つの檜皮葺の建物で構成されている。
前堂にあるこの「弘法大師坐像」は、毎朝6時からの生身供(しょうじんく)の時に御開帳され、毎月21日の御影供(みえいく)では終日御開帳されている。
それ以外の時は「弘法大師坐像」を見ることはできないが、前堂は一般公開されており、靴を脱いで中に入って拝める「東寺」で唯一の場所にはなる。
長いこと待ったこともあるが、筆者にはやはりここが、「東寺」では一番印象に残る場所だった。
「東寺」の駐車場とマイカーアクセスマップ
「東寺」では、先に拝観料を払う必要はないが、1回600円の駐車場代が必要だ。

出典:寺社巡りドットコム
京都の洛南エリアにある「東寺」は、名神高速道路の「京都南インター」から、国道1号線を北へ約3.5キロのところにあり、クルマで行きやすい場所にある。
しかも駐車場の入口が、北行きの車線側にあるので、「京都南インター」から向かうほうが断然入りやすい。
すなわち「東寺」には京都到着後、一番に立ち寄るのがスムーズだ。
車中泊旅行者の場合は、
名古屋方面からは、コインシャワーができた名神高速道路の「大津サービスエリア」で前泊し、朝から「京都南インター」を降りて拝観に行くのがベストだろう。
しかもこの作戦なら、平日でもETC割引が使える。
いっぽう大阪方面からなら、「桂川PA」での前泊が可能だ。
ただ、いずれにしても観光シーズンは、「京都南インター」の出口から渋滞が始まるので、できれば午前8時くらいには、高速道路から降りられることをお勧めする。
Ps
東寺のガラクタ市は見もの!
「東寺」では毎月第1日曜日に、「がらくた市」の名で親しまれている、骨董品のフリーマーケットが開催される。
「東寺」といえば毎月21日の「弘法市」が有名だが、「ガラクタ市」は古道具・陶磁器・漆器・木工品・書道用具・切手・古銭などが所狭しと並んでおり、老いも若きも外人さんもが、こぞって品定めに夢中だ。
その安さと品揃えから、プロが買い付けに訪れることもあるとか。もちろん、売る側にも明らかにその筋らしき姿もあった。
中にはこんなモノまで。
全部で300円なら、買って帰って仕事に使おうかと思った!(笑)。
というわけで、もし自由に出かけられるなら、第1日曜日がおもしろい。
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