この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊旅行における宿泊場所としての好適性」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

「道の駅 おびら鰊(にしん)番屋」の見どころは、隣接している北海道遺産の「旧花田家番屋」。
道の駅 おびら鰊番屋【目次】
「道の駅 おびら鰊番屋」のロケーション
日本海オロロン・ライオン(国道232号)沿いの留萌(るもい)市街から、北へ25キロほど進んだ小平町(おびらちょう)は、♪鰊(にしん)来たかとカモメに問えば~、あたしゃ立つ鳥、波に~聞けチョイ♪でお馴染みのソーラン節が、長きにわたって唄い継がれてきた漁師の町。
江戸時代から昭和初期にかけての北海道日本海沿岸は、今では考えられないほどの数が群がる、鰊の漁で賑わっていた。
毎年、春の漁期が近づけば、東北地方や北海道各地から「ヤン衆」と呼ばれる出稼ぎ漁師が一攫千金を求めて、西海岸の漁場に続々と集まってくる。
彼らは宿舎を兼ねた網元の番屋に集結し、群来(くき)の一報が入ると、一斉に船を漕ぎ出し、網でニシンを獲りまくった。
水揚げしたニシンは一部を食用の「身欠き鰊」にし、残りは大釜で炊いて油を搾出し、出がらしは「鰊粕」に加工される。
「鰊粕」は北前船で西日本に移出され、ミカンや藍、あるいはワタ栽培の高級肥料として珍重された。
漁が一段落する5月の北海道西海岸は、ニシン製品の売買や、帰郷前に歓楽街へ繰り出す漁師達の喧騒で、「江戸にも無い」といわれるほどの賑わいに包まれたという。
前置きが長くなったが、小平町にはそんな往時の様子を現代に伝える、「北海道遺産」が残されている。
「旧花田家番屋」は、地元の網元・花田家によって、ニシン漁の最盛期にあたる1905年頃に建築された、大型の木造建造物だ。
当時ここには、花田家の一族と漁師たちのほか、船大工、鍛冶職人、屋根職人などが同居しており、200人ほどで共同生活をおくっていたという。
まさにここは、往時のニシン漁場の景観がそのまま残る、「鰊御殿」と呼ぶに相応しい館だ。
なお小平町では、1971年(昭和46年)の重要文化財指定とともに、この遺構を買収し、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復を行っている。
それもあって「旧花田家番屋」は、国指定史跡の「旧佐賀家漁場」(留萌市礼受)、岡田家鰊番屋(苫前町苫前)とともに、北海道遺産の「留萌のニシン街道」の構成要素に指定されている。
「道の駅 おびら鰊番屋」の施設
1996年に開業した「道の駅 おびら鰊番屋」は、2015年に大幅なリニューアルを受けて拡張された。
現在は売店と休憩室に加えて、歴史文化保存展示ホールを有している「小平町観光交流センター」と、日本海の海の幸が楽しめる食堂が人気の「食材供給施設」、そして前述した重要文化財「旧花田家番屋」の3つの建物で構成される。
たくさんの大漁旗が飾られている「小平町観光交流センター」の中。歴史文化保存展示ホールは二階にある。
売店は品揃えが充実していて、いかにも~みたいな土産品も(笑)。
名物は、土足厳禁の囲炉裏を配した畳の休憩コーナー。
「食材供給施設」のレストランでは、鰊御殿にちなんだ「にしんそば」や「にしん親子丼」、専用の皿「三平皿」に盛られて出てくる郷土料理、「にしんの三平汁」が人気を博しているらしい。
最後は車中泊についてだが、メインの駐車場はこちらで、ウォシュレットがついた24時間トイレは、「小平町観光交流センター」の中にある。
路面は平坦だが、国道232号から近いところにレイアウトされているため、夜間は走行音が気になるかもしれない。
なお、国道232号線をはさんで海側にあるのは、「にしん文化歴史公園」の無料駐車場だ。
こちらでも車中泊は可能だが、トイレがないのであまりお勧めはできない。
なお、可燃物のゴミ箱がないことは確認できているが、空き缶・ペットボトルのゴミ箱については未確認。
ただオロロン・ライン沿いの道の駅は、そのゴミ箱を設置していないところが大半なだけに、ない可能性は否定できない。
「道の駅 おびら鰊番屋」車中泊好適度チェック!
「道の駅 おびら鰊番屋」最寄りの温泉&周辺買い物施設
小平町総合交流ターミナル ゆったりかん
道の駅から約13キロ・12分
☎0164-56-9111
おとな500円
10時~22時(受付最終21時30分)・第3火曜定休
コンビニ
ローソンまで約1.7キロ
スーパーマーケット
苫前にある「JAるもい Aコープ オリーブ」まで約18.5キロ
「道の駅 おびら鰊番屋」アクセスマップ
オロロン・ライン 車中泊旅行ガイド
道北 車中泊旅行ガイド



